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見つけた [バンド紹介]

いいバンド見つけた。

オ-プンリ-ルに一発録り。
なんと思い切りのいいバンドだろう。
音にも拘りを感じられる。

日本人でもFUNK出来るって事を実感させてもらいました。
要はどこまで入れ込むか情熱の問題なのでしょう。

いいバンドですね。
そう言えば、少し前に確かベ-スマ☆ジンに少し記事が掲載されてたかも。

MOUNTAIN MOCHA KILIMANJARO
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暫くヘビ-ロ-テで聴く事決定。

ジャムファン各位殿
そらドライブにアップしときました。
ホルダ-名:レコメンド




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power station [バンド紹介]

1985年、当時高校生だった自分にはPower stationというバンドは特別な存在だった。
バンド誕生も含めてとにかくそのサウンドは衝撃的だった。
当時POPなサウンドで人気を博していたDURAN DURANのメンバ-2人が
こんなハ-ドなサウンドを作りだした事と、こんなバンドがやりたかったんだという意外性に驚かされた。
バンド名の由来は彼らがレコ-ディングに使ったNYのPower stationスタジオからとったらしい。

サウンド面では、プロデュ-サ-のCHICのベ-シストであるバ-ナ-ド.エドワ-ズがCHICの活動をやめてから貯めていたアイデアをすべてPower stationにつぎ込んだと当時のインタビュ-記事で読んだ記憶があるが、とにかくゲ-トリバ-ブや反転エコ-など駆使したドラムサウンドがとてつもなかった。

メンバ-構成もとにかく凄い。
DURAN DURANの2人は憧れのバンドCHICからドラムにトニ-.トンプソンを、ボ-カルにはUKのベテランのソウルシンガ-であるロバ-ト.パ-マ-を迎えた。
当時のDURAN DURANにはそれだけの求心力があった。
黒いリズムにハ-ドなギタ-それに渋いソウルフルなボ-カルが絡むという図式は前例がなかったと思う。
photo.jpg

some like it hot
http://jp.youtube.com/watch?v=3pQJvinmsiI
get it on
http://jp.youtube.com/watch?v=ZUc629OcQPo

ジャンルの壁を越えたスーパー・グループ
 Robert Palmer ロバート・パーマー/ヴォーカル
 John Taylor ジョン・テイラー/ベース
 Tony Thompson トニー・トンプソン/ドラムス
 Andy Taylor アンディ・テイラー/ギター


ザ・パワー・ステーション
The Power Station
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1985年 

Living In Fear
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1996年


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Speedometer [バンド紹介]

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最近は全然聴いていなかったSpeedometer。
UKの白人のJAZZ FUNKバンド(この呼び名でいいのか?)と記憶していたが。
JBやMETERSが好きなんでしょうね、この人達。
youtubeで映像見るまでビジュアルは知らなかったが、CDで歌っているのも白人なのか? 
てっきり黒いお肌のおねえ様かと思っていた。うかつだったゼ。
speedettes.jpg

Sampler
http://jp.youtube.com/watch?v=_wDI3Er-xs8
No Man Worries
http://jp.youtube.com/watch?v=QEDkMjvdJFU&feature=related
YOU KNOW YOU CAN
http://jp.youtube.com/watch?v=hePjtmL2Y3w&feature=related

Average White Band [バンド紹介]

vicp41418_120.jpg 「スズ愛聴盤」

let's go round again
http://jp.youtube.com/watch?v=mnM8F87lzy4&feature=related

アヴェレージ・ホワイト・バンド(Average White Band)はイギリス出身のファンク、ソウル/R&Bのバンド。
1971年にスコットランドで結成。1973年にエリック・クラプトンのコンサートのサポートを務め、同年にデビューした。1974年にニューヨークへ渡り、2枚目のアルバム「AWB」を発表。アルバムからシングルカットされた「ピック・アップ・ザ・ピーセズ」は、1975年にインストゥルメンタル(歌なし)の曲としては異例の全米1位の大ヒットを記録した。
バンド名の通りメンバーは白人ながら(後に黒人メンバーも在籍)、音は非常に黒い。そのためホワイト・ソウル、ホワイト・ファンクと呼ばれることがある。
何度かのメンバーチェンジを経て、1980年にはディスコ調の「レッツ・ゴー・ラウンド・アゲイン」もヒットするがバンドは行き詰まり、1982年に解散した。1996年に再結成し、現在も活動中。

2人目のドラマ-であるステイ-ブ.フェロ-ンのドラムが本当に大好きです。duran duranのドラマ-が85年に一度脱退した時、彼らをサポ-トしていた時に知りました。duran duranのアルバム[notorious」とそのツア-にも参加していて、その時のコンサ-トで生で彼のドラムを聴きましたが、別格でした。


KOOL&THE GANG [バンド紹介]

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もはや説明不要のバンド。我がJAM FUNCOSもCELEBRATIONをカバ-しましたね。

Celebration
http://jp.youtube.com/watch?v=YwEMxYggoKQ
Jungle Boogie
http://jp.youtube.com/watch?v=NxwCCdTGvOM&feature=related
Fresh
http://jp.youtube.com/watch?v=X7UNzEPCM9s&feature=related
Emergency
http://jp.youtube.com/watch?v=ShshMwAhliE&feature=related

バイオグラフィ-見つけました。
ニュージャージーでバンドが結成されたのは1964年。オリジナル・メンバーはロバート・クール・ベル(ベース)に、兄弟のロナルド・ベル(キーボード)、ジョージ・ブラウン(ドラム)、カーティス・ウイリアムス(キーボード)、チャールズ・スミス(ギター)。名門レーベル「De Lite」でのレコーディングは69年からスタート。ジャズのインプロヴィゼーションをたしなみながら、妥協なきストリート直送のファンク・スピリットを剥き出しにした古典的ヒット/録音の数々、"Who's Gonna Take The Weight", "Jungle Boogie", "Hollywood Swingin'", "Funky Stuff", "Summer Madness", "N.V.", "Higher Plane", "Spirit Of The Boogie", "Open Sesami"等は70年から76年の間に生まれたもの。この後、ディスコ・ブームに干渉された彼等は一頃失速を余儀なくされたものの、79年にフュージョン界からプロデューサーにデオダードを招き、更にそれまで基本的には不在だった専任リード・シンガーの座にジェイムス・JT・テイラーが抜擢されて、ポップ・マーケットも視野に入れた洒脱なバンドに一大変貌、同年にリリースされた"Ladies Night"がそれまでの不調を一瞬にして吹き飛ばす大ヒットとなって、第二次黄金時代を迎えている。この79年から87年にかけて放ったヒットは"Too Hot", "Celebration", "Take My Heart", "Get Down On It", "Big Fun", "Joanna", "Misled", "Fresh", "Cherish"と、枚挙に暇がない。89年にはソロに転向したジェイムス・JT・テイラーの後釜に元ダズ・バンドのスキップ・マーティンが加入、引き続き"Raindrops"のヒットが誕生している。この後も"Jungle Boogie","NT", "Hollywood Swingin'", "Summer Madness"といった作品がラップのネタとして広く、そして頻繁に使用されて彼等の音楽は結果一つも埃をかぶることなく、今もなお燦燦とその耀きを保っている。

OHIO PLAYERS [バンド紹介]

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骨太で少し野蛮だけど、メロ-&スイ-トなこのバンド。KOOL&THE GANGと少し似てるかも。DISCO時代になる前のアルバムがお薦め(CDだとベスト盤しかないかもですが)。LPのジャケが男子が好きそうなナイスのモノが多いです。
Sweet Sticky Thing
http://jp.youtube.com/watch?v=T6EC9V0h6no&feature=related
Skin Tight
http://jp.youtube.com/watch?v=ZHLz5ZcVVLc
Love Rollercoaster
http://jp.youtube.com/watch?v=Y8KMC6L0CHo&feature=related
バイオグラフィ-。
オハイオ・プレイヤーズは、ファンクの歴史に大きな足跡を残し
たグループ。彼らの成功に触発されて、出身地であるオハイオ州デ
イトンの一帯からは、レイクサイド、ザップ、サンなど素晴らしい
ファンク・バンドが次々と生まれました。そのムーヴメントは、や
がてオハイオ・ファンクという一つのスタイルとなって結実します。
彼らの全盛期はシュガーフットの唄が充実したマーキュリー時代。
ohioplayers.jpg
本作からは "Sweet Sticky Thing" "Love Rollercoaster" の2
曲がナンバー1になりました。また、3曲あるバラードもスイート
な佳曲揃い。グルーブあるリズムとキャッチーなフレーズを凝縮し
た、典型的なオハイオ・ファンク・サウンドを楽しめます

the meters [バンド紹介]

METERS02.jpg

Cissy Strut
http://jp.youtube.com/watch?v=_FBnQvd_xzs
Look-Ka Py Py, Jungle Man
http://jp.youtube.com/watch?v=KNzilDmPpCg&feature=related

MetersはNew Orleans のSecond Line Funkの代名詞のようなバンドである。
Art Nevilleが彼の兄弟(Aaron, Charles)と高校の友人で始めたバンドであったが、Allen Tourssaintが気に入って彼の"Sansu Record"のハウスバンドとしてVocal抜きで採用することになる。
"Sansu Record"で"Earl King", "Lee Dorsey", Allen本人のバックで何枚ものレコードに参加した。
というわけで、元々はインストバンドであったが二枚腰の粘るリズムで単独LPもリリースするようになり、 押しも押されもせぬ人気バンドとなったのである。
Metersは77年に解散した。
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Art Neville は兄弟を集めてNeville Brothersを結成し、 周知の通り現在の人気を誇っている。

Art Neville::Keyboards
Joseph "Ziggy" Modeliste::Drums
Leo Nocentelli::Guitar
George Porter, Jr.::Bass

アルバムの詳しい記事見つけました
http://homepage1.nifty.com/bluesknk/metercd1.html

バイオグラフィ-

ミーターズとネヴィル兄弟の関係は極めて深い。1937年ニューオーリンズでネヴィル兄弟の長兄アーサー・ジュニア、つまりアート・ネヴィルは、音楽好きの父アーサー・シニアとブラック・インディアン(アフリカンとネイティヴの混血)の血をひく母アメリアの間に生まれる。4才で教会のピアノを弾き、10代の時にはターコイズに参加(すぐに解散)、さらに1952年にホウケッツを結成し、1954年には CHESS から「マルディグラ・マンボ」を出しローカルヒットさせる。その後アートは SPECIALTY と契約し、「オー・ウィー・ベイビー」をリリースするが、1960年まで兵役にとられ、活動を中断する。除隊後は INSTANT から「トゥー・マッチ」「フック・ライン・アンド・シンカー」などの曲を出すが、大ヒットには至らず、1963年弟アーロンが所属していた MINIT の倒産などもあり、ニューオーリンズの音楽シーンは冬の時代を迎える。
1966年に入り、アーロンが「テル・イット・ライク・イット・イズ」の大ヒットを飛ばすと、アートはネヴィル・サウンズというネヴィル兄弟(アート、アーロン、シリル)を軸に据えたバンドを結成する。子供の頃クラシックのピアニストやギタリストを目指していた1947年生まれのジョージ・ポーター・ジュニアは、アートの助言によりベースに転向した。ルイジアナ・ブラック・デヴィル・バンドのバンジョー・プレイヤーを父に持つ1946年生まれのレオ・ノセンテリは、幼少時代から音楽に親しみ、ギターを持つと初めはジャズを学び、ジョージ・ベンソンやウェス・モンゴメリーのようなプレイヤーを夢見ていた。しかしコズィモ・マタッサのスタジオで、リー・ドーシーなどのセッションに参加するようになり、ネヴィル・サウンズの一員となる。ジョン・”ジガブー”・モデリステは当初代役としてバンドに参加した。しかし当時のオリジナルのドラマーは、”ジグ”の演奏を聴くととっとと辞めてしまった。
 アートは彼のアイドル、ジェームズ・ブッカーの影響からハモンドB-3を導入、サックスを加えた7人編成でしばらく活動、1968年6月に地元のアイヴァンホー・クラブのレギュラーの座を射止めた。しかしクラブは7人編成のバンドを雇おうとはしなかった。しかたなく、ネヴィル・サウンズはリズム隊3人にアートを加えたファンキー・ミーターズと、アーロン、シリルらのソウル・マシンに分裂してしまう。ファンキー・ミーターズはクラブで「枯葉」や「星空のステラ」などのスタンダードやダンスチューンを演奏する傍ら、4人のインタープレイを展開していった。こうして頭角を現したファンキー・ミーターズに目をつけたのが、ほかならぬアラン・トゥーサンであった。
 トゥーサンはすでに65年くらいから、リー・ドーシーの「ゲット・アウト・オヴ・マイ・ライフ・ウーマン」「ワーキン・イン・ア・コール・マイン」といった録音で、よりシンコペイションの強いサウンドを追求し始めていた。その眼鏡にかなったのがファンキー・ミーターズで、まずはトゥーサンとマーシャル・シホーンが経営する SANSU からアート名義で「ボ・ディドリー」「ハートエイクス」をリリース、同時にトゥーサンの秘蔵っ子リー・ドーシーのバックを務める。そして1969年 JUBILEE 傘下の JOSIE からミーターズとしてデビュー、第1弾「ソフィスティケーテッド・シシー」がいきなりR&Bチャート7位のヒット、続く「シシー・ストラット」は4位となり、ニューオーリンズきってのインスト・バンドとしての地位を固めていく。
この時代のミーターズのサウンドは、スタジオやライヴでのインタープレイを凝縮したようなインスト・ナンバーがほとんどである。"ジグ"が叩き出す、シンコペイトし、時には微妙なタイミングのズレさえあるニューオーリンズ直伝のセカンドライン・ドラムを下敷きに、レオがソロを取るとすかさずアートとジョージがリフを弾き、アートがソロになるとレオとジョージがユニゾンで応えるといった、変幻自在の絶妙なコンビネーションから産み出される緊張感にある。そこにはギターやオルガンの冗長なインプロヴィゼイションは必要ない。これらのリード楽器は、時に完全にリズム楽器と化す。そして透き間を埋めるのではなく、むしろ強調するようなジョージのベース。彼自身の証言*1によれば、リズムギターを弾いていた経験から、全音を弾ききらず、半音で切ってしまうようにしたとのこと。これを"ジグ"と相談して取り入れた。この、弾かないことによって生み出される隙間が、ブッカー・T&ザ・MG'sなどとは明らかに異なる、ミーターズ特有の魅力となるのだ。それはあたかも老荘思想の「無用の用」のように。 ジェームズ・ブラウンが作り出し、スライ・ストーンやジミ・ヘンドリックスが発展させつつあったファンクを取り入れながら、ニューオーリンズのカラーをしっかり染み込ませた JOSIE 時代のミーターズは、手拍子や合いの手、コーラスなど徐々に音に厚みを加えながら、アルバム3枚、シングル10枚をリリースし、1970年にはビルボードとレコードワールドのベストR&Bインストゥルメンタル・グループに選ばれた。しかし翌年 JUBILEE が倒産、REPRISE へ移籍する。このころからミーターズの音に大きな変化が現れてくる。それまでのインスト中心から、アートのヴォーカルを前面に押し出すようになっていくのだ。また、このころから弟シリルがパーカッションやコーラスで参加するようになると、サウンドはよりアフリカを意識したような、込み入ったアレンジが施されていくようになる。ギターの多重録音やワウワウなどのエフェクタの多用がそうしたサウンドをさらに複雑なものとしていった。
 一方この時代、アラン・トゥーサンは時代の寵児であった。彼はプロデューサーとして人気の頂点にあり、例えばザ・バンドなども「トゥーサン詣で」をしていたくらいだ。1973年ニューオーリンズ出身のドクター・ジョンはトゥーサンのプロデュースの下、ミーターズをバックに「イン・ザ・ライト・プレイス」を発表、1974年にトゥーサンとシホーンはシー・セイント・スタジオを設立すると、ミーターズはそのハウスバンドとしてスタジオ・セッションに借り出される。ラヴェルの「レディ・マーマレード」はこの時代のトゥーサンの代表的な仕事で、ミーターズのメンバーも録音に参加している。ミーターズはこの間も精力的にアルバムをリリース、ニューオーリンズを代表するヴォーカル&インスト・バンドとしての地位を不動にするとともに、ライヴバンドとしての名声も得、1975年にはローリング・ストーンズのオープニング・アクトを務め、ポール&リンダ・マッカートニーとウイングスとともにクイーン・メアリー号でのライヴなどもおこなっている。
こうして REPRISE で3枚のオリジナルアルバムを出し、プレイヤーズ・プレイヤーとして、1976年にはローリング・ストーンズ誌のベスト・バンドに選ばれたミーターズだが、すでに商業的にはかげりを見せ始めていた。その上プロデューサーとは名ばかりで、ミーターズの録音にはほとんど姿を見せず、セッションワークにこき使うだけのトゥーサンや、練習テープを寄せ集めて作った「Trick Bag」を、ミーターズのヨーロッパツアー中に、勝手にリリースしようとしたシホーンに対する不満はつのっていった。その上アートの母の死をきっかけに兄弟が集まり、母の兄ジョージ・ランドリー率いるブラック・インディアン・トライブのアルバム「The Wild Tchoupitoulas」を、ミーターズ全員とネヴィル兄弟が結集して作ったが、プロデューサー名義を録音にタッチしていないトゥーサンとシホーンにされたことは、この溝を決定的に深めた。そして1977年解散を決意したミーターズは、最後のアルバムをサンフランシスコで録音するが、これも失敗に終わる。
 解散後のミーターズのうち、アートと途中から加わったシリルは、他の兄弟とともにネヴィル・ブラザーズを結成して現在も活躍している。この現在世界最強のライヴバンドについては、稿を改めて紹介したい。また、解散後もオリンピック・イヤーごとにミーターズは再開して演奏を続けていた。1988年には一時引退した"ジグ"に代わり、ディヴィッド・ラッセル・バティステというセカンドラインのサラブレッドをドラムに迎え、ミーターズとしてツアー、1993年には来日もしている。1994年にはレオに代わってブライアン・ストルツがギターとなり、バンド名もファンキー・ミーターズ*2として現在も活発に活動を続けている。ジョージはスヌークス・イーグリンのバックでも2度来日、BLACK TOP の専属ベースのような活躍(ソロアルバムも出した)もあったし、レオは昨年ライヴアルバムをリリースして元気なところを見せている。さらにうれしいニュースとして、"ジグ"がこのたびニューアルバムを出したそうだ。

A TASTE OF HONEY [バンド紹介]

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70年代中.後半に活躍した、DISCO時代のバンドです。フロントの2人がなかなかの実力者らしいです。なかなかいいベ-スラインを聞くことが出来ます。代表曲Boogie Oogie Oogie とSUKIYAKIと言う日本人ならおなじみの曲を紹介しておきます。

Boogie Oogie Oogie
http://jp.youtube.com/watch?v=qaBmaZ9chgo&feature=related
SUKIYAKI
http://jp.youtube.com/watch?v=d0bZgykGR9s&feature=related

Blow monkeys [バンド紹介]

21DKWQTD0GL.jpg

Digging your scene
http://jp.youtube.com/watch?v=ThfrfBlOE5E&feature=related
it dosent have to be that way
http://jp.youtube.com/watch?v=co8P6fN732U&feature=related
This Is Your Life
http://jp.youtube.com/watch?v=Jxk3wEb_R7s&feature=related
DR.ロバート率いるブロウ・モンキーズ。84年のデビュー以来彼らは、スタイル・カウンシルらとともに80年代のUKを代表するブルー・アイド・ソウル・グループとして活躍した。ソウルやゴスペルなど、約3万枚ものアナログ盤を所有するレコード・コレクターとして有名なDR.ロバートであるが、フィリー/モータウン/スタックスというようなUSブラック・ミュージックのスタンダード・スタイルをただ咀嚼するだけでなく、それらをマニアならではの独特の視点で洗練化させ、ポップ・ミュージックとして昇華。そのスウィートな歌唱も人気獲得の大きな要因となり、「ディギング・ユア・シーン」(86年)や「ビー・ズィス・ウェイ」(87年)といったヒット・ナンバーを次々と飛ばしていった。さらに「デイ・アフター・デイ」(87年)では、敬愛するカーティス・メイフィールドとの念願のコラボレーションを実現、ソウル・フリークっぷりも発揮した。グループ名義でのラスト・アルバム『スプリング・タイム・フォー・ザ・ワールド』(90年)においても、そのプログレッシヴな感性は冴え渡ることに。--当時盛り上がりを見せていたワールド・ミュージックやハウス・ミュージックなどの新要素を貪欲に取り込み、この作品で新しいブルー・アイド・ソウルのかたちを示して見せたのだ。現在、DR.ロバートはシンガー・ソングライター的なスタンスでソロ活動を続けている。

simply red [バンド紹介]

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http://jp.youtube.com/watch?v=DRPzJWeICzY&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=MeB6oaWMKDM

80年代半ばのイギリスにおいてブリティッシュ・ソウルと呼ばれるムーヴメントが台頭し、スタイル・カウンシルやブロウ・モンキーズらを好例とするグループが続々と誕生した。シンプリー・レッドも、そういう潮流のなかで始動したブルー・アイド・ソウル・バンドである。
その赤毛っぷりがグループ名の由来となった、ミック・ハックネル(vo)を中心に結成されたシンプリー・レッドは、85年『ピクチャー・ブック』でデビュー。モータウン・サウンドを始め、ファンクやフィラデルフィア・ソウル、ジャズなどからの影響に、UK特有のシャレっ気をドプリと注ぎ込み、オリジナリティ溢れる音楽性を展開した。そんな彼らの代表作『スターズ』(91年)は、全世界で2,300万枚以上という驚異的なセールスを樹立。このアルバムで実証されたのは、ハックネルのソウルフルなヴォーカル・パワーはもとより、ソングライターとしての著しい成長度合いだろう。イギリスの社会問題に目を向け、すべての楽曲を自らのペンで書き下ろし、“カヴァー・ナンバーに優れたバンド”という従来のイメージを覆したのである。また、当初頻繁に指摘されていた軟弱気味なバンド・サウンドに、タイトで力強いグルーヴを吹き込んだ男、屋敷豪太(プログラマー&ドラマー)の偉大な功績も忘れてはいけない。
90年代中期以降はハックネルのソロ・プロジェクト色がいち段と濃くなり、バンド・メンバーは流動的な変化を遂げている。(リッスンジャパン)

http://wmg.jp/foreveryoung/artist/simplyred/index.html
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